靴擦れ

 蓼丸まれ。好きな色は青。眠ることと私と遊ぶことが大好きで、食事と運動はなるべくしたくないと拗ねる。得意なことは特に無く、人と関わるのが苦手。靴擦れが痛くても人に言えず、庇うように歩きもせず、強引にいつも通りに振る舞うので靴下を血染めにして、私に叱られている女の子。

「こんなことだと、級友との外出を許可できなくなりますよ」

 曰く、そんな会話の流れにならなかったのだとか、そこまで痛くなかったから血が出てると思わなかったのだとか、だからなんだと一蹴出来てしまう稚拙な言い訳を並べたあとに、迷惑になってはいけないと1人になるまで痛む患部を目視すらしなかったのだと、やっと反省の色を滲ませた。まれの主張はどれも言い出せないような間柄の相手と出掛けることを禁じる理由にしかなり得ないものばかりで、履き慣れた靴を使うように気をつけますと言われた時のために用意していた反論はついぞ口にしなかった。
 夕方には私の家に帰り泊まるという約束で、進学してから貴重になってしまった休日を顔も知らない級友に譲ってやった。言いつけ通り最寄駅に到着する時間の連絡を寄越したので、使用人に声を掛けて車を出させる。ただいまと言って後部座席、私の隣に座るなり靴を脱いでも良いかと聞くので、どうぞと言いつつ痛めたのかと足を見た。それがあまりに痛々しかったので、自宅に着いても歩かせずに横抱きにしてリビングの椅子に座らせた。跪いて足を取ると、それまでただの靴擦れだの見た目ほど痛くはないだのと無視しても勝手に喚いていたまれが黙って、息を呑むのがわかった。まだらに赤くなってしまった靴下をそっと脱がせて患部を診る。用意させた濡れタオルで血を拭うと、傷がそこまで大きくないのがわかってほっとした。そうしてやっと、心配よりも怒りが大きくなって、まれを叱る言葉が声になった。
 健気に軽々と自己犠牲をする可哀想なまれ。この子はなんにも悪くないのに小さく小さくなって、私の機嫌を損ねまいと口を噤んでいる。そんな、まれの様子を気にも留めない友人などに時間を割く必要は無いと、気付くことができない馬鹿な子。責め立てたいのはむしろ同行した級友たちこそだが、足に傷をつけるということは踊れなくなるということ、私とステージにあがることよりも優先することがあったということ、そう結び着いた思考はひどく私を苛立たせ、私に何を言われても曇らない青空の目に膿を吐き捨ててしまう。跪いて手当てをしながらまれを見上げる私を、じっと見つめ返す青空。その目に映る私への好意が陰るところを見たことはなかった。
 まれは本当に些細などうでもいいことで私の袖を引く。道端の花の名前はなんだとか、すれ違った自動車のライトを目に見立てて、こわいかおの車だったねだとか、ともだちが、いもうとが、ファンのコメントがどうのこうの。足が痛くなったなんて、違和感を覚えた時点で私にはきちんと言えていたに違いない。そんな、実年齢よりもいくらか幼い振る舞いを級友の前では徹底的に恥じて、出さないらしい。じんわりと沁み入る優越感。私や、私が認めてやっているまれの友人以外にも素直に振る舞えるようになるのは面白くないし、かといってひどく緊張したままで靴擦れも言い出せない相手と時間を共にするのも不愉快だ。つまるところ、私の認めない交友関係によって私との時間が減るのが嫌なのだ。大体学校に通っていることが嫌だ。不登校の時のように私が一般教養程度を教えてあげるだけで充分ではないか。もともとまれは勉強が好きでも必要でもなく、1人で生きられるような生きものではないのだから、私のそばでふにゃふにゃと笑っていれば良いのだ。高校に通いたいという望みを許してやっているだけでも寛容なのにどうして放課後や休日まで潰されねばならないのだ。
 不満の栓が外れ止め処なく溢れ出しそうになって、唇を噛んだ。全てをぶつけてもまれはけろりと受け入れそうなものだが、私の数少ない……むしろまれを除けば唯一の友人が常々「やめたほうがいい」と言うので、少しくらいは我慢しようと思っている。
 私が唐突に黙ったのを何と思ったのか、ごめんね、と空が潤んだ。

「ぼく、あし痛くしたらダンスできない、まで、思いつかなかったの。みんな困らせちゃダメばっかり考えちゃって、だからあの、わざとライブを疎かにしたわけじゃないの……じんさんと一緒にいるのが1番大事なのに、ちゃんとできなくてごめんね」

 ああ、満たされる。まれの拙い言葉に、苛立ちの全てが気化したように身体から無くなって、清涼な満足感が残った。
 まれはよく泣く。天気雨のようだと思う。零れそうになるのを親指で拭ってあげると、不安そうに強張っていた顔がふにゃりと蕩けた。

「私はまだ怒っているんですよ」
「ふゃ、ごめん……」
「……終わりました。立てますか」
「ありがと、だいじょぶ」

 立ち上がらせるために引いた手を離そうと力を緩めると、まれがきゅ、と力を込めて引き留めたので、どうしたのかと向き直る。

「ぼく、時間をかけても、学校のともだちとは、その……なかよくなれないのかな」

 それのなにが不満なのかと叫び出しそうになるのを堪えた。

「いっつも緊張しちゃって、じんさんの側にいるときみたいに、ゆるゆるでいらんなくて」

 有象無象にもゆくゆくは私にするように接するつもりなのか、この子は。

「でも、でも……それって、じんさんのことが……特別のなかでもいちばんいちばん特別だからかもって、わかったの」

 ……「やめたほうがいい」意味を、やっと知った気がする。

「だから、だからいいよ、あの……もう、いい……あ、学校は……行きたい、けど……友達はもう、いい」
「……本当に?」
「ほんとに!」

 この子と外界との関わりを出来る限り絶ってしまいたいという望みを、今まで実行しないでいた理由に思い当たった。まれ自身が望んでいなければ意味がないからだ。……ああ、確かに、「やめたほうがいい」に決まっている。私の望みを総て知れば、それが自分の望みかどうかを判断できないまま全て吞み下すような子なのだから。
 それほどまでに、この子は私のことが大好きなのだから。

「……学校に行って、勉強も友達と遊ぶのもしてみたいのだと……そのために受験勉強を頑張ったのではないのですか」
「ん……でももう、結構まんぞくというか……いいの、知らなかったからやってみたかっただけ……やってみたら、何より欲しいものってわけじゃなかった、みたいな……」

 判然としない口調に根気強く耳を傾けていると、まれがぱっと顔をあげた。繋いだ手を引かれてソファに座る。まれは私の肩に頭を預けて、言いにくそうにもにょもにょ口を動かしてから、話を続けた。

「あのね、すごーくわがままかもだけど、ぼくが足痛くしてるとき、じんさんなら気付いてくれるのにって思っちゃったの」
「わがままじゃありませんよ」
「そかな……。ぼく、友達に求めてるもの“じんさん”なのかもって思って、そしたらもういいやあってなったの。だってじんさんはもう居るもんね」

 手を回さずとも望みが半分叶ってしまったことに少し驚いたが、態度に出ないよう努めて静かに「そうですか」と返事をした。

まれ、こっちへ」
「はう、まだおふろはいってないけど」
「いいから」

 繋いでいた手をそっと離して両手を広げると、しばし躊躇ったあと、まれは膝立ちになって向かい合うように私の腿を跨いだ。遠慮がちに肩に置かれた手と困ったような微笑み。指先で膝に触れて、そのまま上へ上へと腿をなぞると、まれは擽ったそうに首をすくめた。ショートパンツの裾に指を入れると、だめだめ、と焦りが滲む。もとより素直に抱き着かないことへの仕返しというか、悪戯のつもりなので、大人しく尻を撫で上げて背中に辿りつくと、そのまま抱き締めた。私の頭を抱えるように回る腕。まれの香りを鼻腔いっぱいに吸い込んで、これの心が更に私のものになったことを喜んだ。