傲慢に陶酔
蓼丸稀が何を考えているのか当てるのは、実に容易いことだった。感情が表情に出やすいのか、美味しいものを食べれば美味しい顔をするし、困っていれば眉をぐんと下げて口を阿呆のように開くのだから、どうしたのなどと聞かずとも言い当てることで会話を始めることが出来た。時々怖い顔をしているが、それは目つきのせいでそう見えるだけあって、実はただぼんやりと何も考えていないんだということは、用があって声をかけた時ヘニャヘニャの顔で「なにー」と返事をしたのですぐにわかった。見ればわかることをわざわざ聞くまでもない、以外の意図は本当になくて、何気ない同級生とのコミュニケーションでしかなかったのに、ある日蓼丸は魔法でも目の当たりにしたようにぱあと笑って言った。
「どうしていつもぼくの考えてることわかんの、エスパーなの!?」
あ、かわいい。と思ってしまった。
蓼丸は同級生で、入学式の日、出席番号順に座った席で後ろにいたから、オリエンテーションの自己紹介の時に振り返って顔を見た。それが出会いだったと思う。出身中学を言っていたけど聞き覚えが無かったから瞬間に忘れて、少し遠くから来てるんだなとだけ思った。地元の中学から友人同士でまとまって進学した同級生が多く、入学初日からすでにグループが出来上がっていて、学区外からの生徒はこのクラスにはおれと蓼丸だけだったから、仄かな仲間意識と好奇心で何故この学校に来たのか尋ねてみた。蓼丸は人見知りをするのか、初対面の人間に話しかけられたことにとんでもなく緊張している様子で、目を泳がせてから数回口を開いたり閉じたりして、ビョンビョンに跳ねた髪を軽く握りながら、なんとなくです、と言った。ちっせえ声。面倒なやつかもしれないと少し考えたが、同じクラスの後ろの席である以上遅かれ早かれ関わることになるだろうと思ったので、蓼丸のもう会話は終わったと言うようにほっとした様子を無視して自己紹介をした。名前、出身校、ぼっちはおれたちだけみたいだしよろしくなという旨の挨拶。おどおどしながらもきちんと会話はできるようで、蓼丸は同じように自己紹介をして、よろしくね、と笑った。学校生活に関する他愛もない雑談を交わす仲にはなったが、趣味だとか家族構成だとか、そんな話はしなかった。グループは出来上がっていたが鎖国というわけでもなく、おれは数日でクラスに溶け込める程度の交友関係を築いていたが、蓼丸の世界は与えられた机の上にしか無い様だった。
蓼丸は帰宅部だった。部活動見学に行ってる様子もなかったので、HRが終わると1番に帰路につくのは何故かと尋ねた。おれが話しかけないと教室で言葉を発さない蓼丸が妙に不愉快で、適度に友人を作れるように気を回してやろうと思ったからだ。蓼丸は、友達と約束があるから急いでるのと言った。
友達いたのかよ。
他のクラスに友人がいるのかと思い、じゃあ放っておいても勝手にどうにかなるだろ、と気を回すのをやめた。その友人が6つも歳上の女子大生だと知るのは、少し後のことだ。
蓼丸とおれが会話をするから、おれの友人も蓼丸と少しずつ話すようになった。 蓼丸はあまり自分のことは言わず、他人の話をニコニコ聞いていた。
蓼丸はいつもどこか、他人に心を閉ざしているな、と気付いていた。それにどうとも思うことはやっぱりなかったけれど、今思い返すと、蓼丸を観察していた全てが実はおれの中に積もっていたのかもしれないと、認めてしまう気持ちになる。
蓼丸が好きだ。もっと蓼丸のことが知りたい。放課後そんなに急いで帰って、歳上の友人と何をしているのかとか、休みの日は何をしているのか、以前チラと話題に出た妹以外に兄弟はいるのかとか、どうして誰に対しても余所余所しいのか、どうしてわざわざこの学校に来たのか、きっと本当はなんとなくなんかじゃないんだろ?知りたい。
そう伝えた。もう少し蓼丸の様子を伺いながら、優しく。想像した通り目を丸くして驚いてから、顔を耳まで真っ赤にして、照れ隠しみたいに視線を合わせないようにしながら携帯を出した。
「放課後とか、休みの日にやってるのはね、これ…」
口に出しながら、やっぱり躊躇ってなかなか画面を見せないのを、根気強く待った。やっと開いた手のひらの中には、動画そのものではなくて、チャンネルのページの動画一覧。サムネイルを見ながらついと指を動かす。今見てもいいかと聞くと、はずかしいから、URL送るからおうちで見て、と返ってきた。
「その、おうちとか言うの、可愛い」
「へあ!?なっなあに急に」
「うん、急に。なんか急にすげえ可愛い」
「……急に、すき?」
「急に好き」
「……ん…」
いつも困ってる眉がもっと困って、唇をつんと尖らせて、居心地の悪そうな顔をしていた。
「お前、彼氏居たことある?」
「んーん」
「付き合うとかわかる?どんな感じとか」
「わかんない」
具体的な変化を挙げて許しを得ようと、恋人関係のプレゼンをしようと、蓼丸の顔を覗き込もうとした時、「でも」と続いた。
「でも、放課後とか休日とか、その……これ、やりたいから、一緒にいるのはあんまりむりとおもう……そういうのでも、付き合うになる?」
携帯を軽く揺らしながら申し訳なさそうに言う蓼丸は、おれが思っているよりもずっとこの話に乗り気で居てくれたんだと嬉しく思う。こっちが擦り合わせるまでもなく出してくれた条件に、おれから付け加えることは何も無かった。
「うん。なる。付き合う?」
「んー、……」
前のめりな自分を格好悪いなと思うけど、知ったことじゃない。
「……わかったあ」
「付き合う?」
「うん」
「……!!」
嬉しい。嬉しくて勢いで立ち上がってしまって、慌てて座った。蓼丸がなあにーと笑うのが可愛くて、口が緩んでしまう。
「おれ、中学でいじめられてたから、高校で友達出来て彼女もできたの、すげー、嬉しい……舐めらんないよーにと思ってちょっと、イキってたけど、お前の前くらいゆるんでもいい?」
「ぅあ、う、うん……ぼくも」
ぼくも、いじめらってたから、おそろいだね、なんて言うから、本当に可愛くてどうしようかと思った。
「あのね……あのね、お前って言われるの、ちょっとびくってするから、こわいから、名前呼んでほしー……」
「いーよ」
名前呼んで、だって。あー、かわいい。
帰宅して、嬉しくて、適当なスタンプを送ったら数分して返ってきて、満足。蓼丸が…稀が送ってくれたURLを開いて、配信を片っ端から見た。稀の友達、疎いおれでも見かけたことのある有名人で、その人に寵愛されてるみたいな稀は学校の稀よりずっと可愛かった。プリチャンアイドルのまれ。知らない顔なのに、ライブ以外の配信は馴染みのある稀で、知れたことが嬉しく思う。遡ると中学の頃から頻繁に投稿していて、ああ、いじめられて不登校になって、プリチャンの世界が稀の、なんていうか…本当の世界なんだろうと、これまでの違和感全てが解明されたような気がした。怖がっているんだ、おれたち全部を。そこではたと気付く。おれ、稀が自分より弱くて小さいのが、可愛いんだ。
翌日、特に一緒に登校するとかは無くて、いつも通り教室で顔を合わせて、おはよと言った。稀も特に緊張してる様子は無くて、顔をあげて返事をしたあと、やり忘れてたんだろう、1時限目に提出の課題に視線を落として続きにかかった。友人にはよ、と話しかけられたので、稀は宿題忘れたらしいと意識して口に出す。思い通り、面食らったような顔をしたので、特別張り上げるわけでも小声にするわけでもなく、努めて普通に、そう、付き合ってんの、と報告した。すぐに噂は回るだろう。反応が気になって友人と同じように稀の顔を見ると、さあと血の気が引いた顔色で、少し泣きそうになって、手が止まっていた。
昼休みにはクラス中に知られていたから、特に周りを気にするでもなく稀の前の席の椅子を勝手に拝借して向かいに座る。ビク、と肩が跳ねて、稀はまた泣きそうな顔になる。ひどく緊張している様子が可愛くて、無意識に口角が上がった。
「昼、ある?」
「あ、か、かってきた」
「怖ぇの?」
「きんちょー、する……」
俯いて目を合わせないまま、菓子パンの袋をあける稀のつむじを見下ろした。そのまま、咀嚼して膨らむ頰を眺める。
「美味いな、稀」
「んぐ!」
咳き込むのをハハハと笑って頭を撫でた。こんなのやだー、と小さく呟くのが聴こえて、慣れろよと言った。
一日中そんな調子で、おれは幸福感でいっぱいだった。だから、その夜に電話で蓼丸から別れを切り出された時は、もう少しゆっくり距離を詰めるんでもいいとか、揶揄いすぎてごめんなとか、素直に謝った。調子に乗ってた自覚があったし、稀が思っていたよりも繊細なことがやっぱり可愛いと思ったからだ。
「ちが、くて……その、きんちょーしたけど、それがすごいヤだったとかじゃなくて……」
「じゃ、なに?」
うー、とか、んーとか唸るのが聴こえて、怒らないから、となるべく優しく促した。
「……動画、あの、配信、みた?」
「見たよ」
「その、じんさん、がね……」
だめって言うの。
その声が妙に嬉しそうで、悔しかった。
「それはおれより“じんさん”が優先ってこと?」
意地が悪い言い方をしているなと自覚はあった。
「えっと……嫌いとかじゃなくて、その……友達だったらいいって言うの、だから……うん、じんさんのが……大事、かも……」
「友達でいたいんだ?おれと」
「そう!それは、そう……」
「……付き合わないなら友達もやめるって、言ったらどうする?それでも別れんの?」
本当に、意地が悪い言い方だと思う。稀は困っていた。それは、選べないとかじゃなくて、どう肯定すればおれを怒らせずに済むのかわからない、みたいなほうだってことは、顔を見なくたってわかった。
蓼丸稀が何を考えているのか当てるのは、実に容易いことだ。それはもしかしたら、おれが特別稀を好きだからかもしれない。あの“じんさん”には分からなかったんだろうと思う。だから稀から報告を受けるまでおれのことに気付きもしないで、稀がどんな思いをするかもわからないで別れろと、稀の好意を利用したんだ、きっと。絶対おれのほうが稀のことが好きだし、わかってる。ただ稀が、おれより彼女を好きなだけ。おれに稀を取られるのが怖くて、離そうとしているだけ。おれは稀の活動や世界を大切にしようと思ったのに、稀のためを思って束縛なんてしてないのに、大人って狡いよ。
そんなやつと一緒にいるのやめろよ、と声にしたら、稀にとって本当に意地悪な人間になってしまうと思って、おれは別れを受け入れるしか無かった。
ごめんねと、きっと電話口でなんども頭を下げているのがわかって、稀は悪くないよと言った。じんさんにおれが話してやろうかと、冗談みたいな声色に本気を隠して提案したら、ぜったい絶対駄目、と聞いたことないくらい硬い声で返ってきて、驚く。なんでだよとは聞けなかった。
通話を終えて、昨日開いた稀のチャンネルにまたアクセスする。いくら眺めても、稀が普段おれに接するのよりも心開いてるとか、そんな風には思えなくて、なんでだよ、と自分の飲み込んだ声が頭の中に木霊した。ほかのアイドルに対しても、じんさんに対しても、おれに対しても、おれ以外の同級生に対しての緊張こそないものの、それ以外の優劣は見出せなかった。そんなに大好きなように見えない。蓼丸稀が少しわからなくなった。
その、翌日。稀は教室に入っておれを見るなりぼろぼろと泣き出してしまった。おれの友人達、特に女の子が近寄って背中をさすって、振られたのかと聞くと、稀はさらに涙を溢した。それで、怯えているんだとわかった。おれをじゃなく、おれを振ってしまったことで、周りが敵になることをひどく怖がっていた。だからおれは、ごめんなと言った。なんか違かったわとか、適当に。稀の側に寄って行った女の子達が、なにそれ、ひどーいと稀の味方になっていくのを見て、驚いて目を丸くして涙を止めた稀を見て、満足した。
まだ終わりじゃない。おれは誰より稀が好きだから、稀がおれを誰より好きになるようにどうすればいいのか、わかっている。
こわいほど美しい、稀を捉えて離さない彼女に勝手に宣戦布告した。現実世界からそっちの世界に逃避した稀を絶対にこっちに引き戻して、アイドルも配信も辞めさせて、おれだけの女の子にしてやる。
知れば知るほどじんさんに陶酔している稀を目の当たりにして、勝手に敗北宣言をする羽目になるのが、そう遠くないことだとは知り得なかった。