嫉妬

嫉妬

 競争がずっと苦手だった。優劣が順位になって、それを生きる目的みたいに振る舞ったり、なんにも気にしないふりをしたり、どれが正しい反応なんだかわからなくていつも曖昧に笑っておいた。順位が合否になってそれで人生が決まって、ただ居たいところでしたいことをするだけなのに、だれかの夢を潰した上に自分が立ってるなんて、重たくて、知らないふうでいたかった。トップスタァとか、ましてやキングなんて、考えただけで重圧に内臓が軋んで吐きそうだった。王に君臨し続ける仁さんはすごい。そんな仁さんのエーデルローズは、そういう重みで強くなれるひとこそが成長できる場所だったと、思う。僕は競争が苦手だけど、でもそういう世界で1番を取り続ける仁さんや、1番になろうってがんばるみんなはとても好きで、がんばれ〜!って眺めてた。僕自身が踏みつけた人のことは見ないようにしてたけど、僕を踏みつけて上を目指す人のことはだいすきだった。かっこよかったし見てると元気がもらえた。場違いだったろうなと、思う。
 へらへらふにゃふにゃしてて、僕は何にも中身がない。出来ることもないのに友達を傷つけることはしたくないって思いだけあった。でも、仁さんにそうしろと言われたら、仁さんの役に立てるならしたいような気持ちもあって、どっちつかずなモヤモヤのまま、僕には何か悪いことしろって言わないのって、1度だけ聞いたことがある。仁さんは、全然興味無さそうに、僕みたいな自由人を苦労してまで駒にしようとは思わない、みたいなことを言っていた。
 なんにもしないでいても、仁さんが僕を側に置いてくれることが、とんでもなく特別のような気がして、初めは嬉しかった。
 仁さんがエーデルローズを去った時、当たり前に、なんにもしないできない無価値のぼくなんか要らないから、僕は仁さんの側には居られなくなった。それで僕は、それまでが奇跡みたいな、どれほどの幸運で得られてた幸福だったかを思い知ってしまった。金魚すくいのおじちゃんが無作為に1匹捕まえるみたいな、ペン入れを見もしないで1本取るみたいな、たまたまそこに居るだけの途方も無い幸運で、僕である必要も、意味も、なんにもない。寂しくて苦しくて切なくていっぱい泣いたけど、当たり前のことだってすぐ理解できたから、悲しくはなかった。僕みたいのが、仁さんにとって価値のある人間になれるなんて思えなかったけど、それでももう1度側に居ることが許されるなら、今度はもう少しだけ僕であることに意味があれば嬉しいなとか、取り留めもなく、相反することを考えていた。
 仁さんの側に居たい。
 無価値な僕を許してくれることが嬉しいのに、僕を利用してくれないことが切ない。
 友達に、非道いことはしたくないのに、非道いことしなさいって命じられないことが切ない。
 仁さんの側に居るのに切ない。
 シュワルツローズに呼ばれて、また僕は仁さんの側に置いてもらえたけれど、どうしているのが正解なのかわからないまま今になってしまった。
 家族になりたいと思った。僕がこんなに大好きでも、仁さんの視界には入れなくて、それなのに仁さんの視界に入ってる家族の誰も、仁さんを1番に大好きじゃないから、それが悔しくて、僕が家族になれたらいいのにって思った。仁さんが寂しいのを知ってから、いないのと同じような僕でさえも、いないよりはいたほうが幾らかましなんじゃないかって、言い訳して、僕が仁さんの側に居たくてたまらない気持ちを正しいってことにした。
 友達を傷つけたくはなかった。役立たずでも側に居られるなら、やっぱりその方がいいと思った。自分の不安を和らげたくて、仁さんの側に居ることに名前が欲しくて、役立たずでも側に居ていいって証明が欲しくて、恋人にしてなんて、わがままを言った。
 ぼくはこいびとだから、なんにもできなくてもそばにいられる。
 本当の恋人みたいに仲良しのルヰを、役割を与えてるアレクを、おっきな期待を向けてるジョージを見るたびに、役立たずはやだと崩れそうになる脚に自分で鞭を打つのを繰り返していたら、仁さんの側に置いてもらえるだけでこれ以上ない幸福なのに、何を望もうとしてたのか、自分でもわからなくなっていった。何を不安に思っていたのか、なんにも忘れてしまえた。
 ぼくはやくたたずだけど、じんさんがやさしいから、こいびとってかたがきをなさけでくれたから、ここにいられる。これはなによりしあわせなことで、それをもらえたいじょう、いつかさよならになっても、ぼくにしあわせをくれてありがとうって、いえるよね。
 切ないなんて、ひどい利己的な感情は、間違いだよ。
 仁さんがいつかもっと周りに人が増えて、寂しくなくなって、たまに僕に見せてくれるみたいなかわいいほんとの微笑みを外でも出来るようになったらいいなと思う。僕は相応しくないからそこには居られないけど、仁さんが僕なんかより本当に欲しい人を手に入れられる日が、僕とさよならする日なら、それは喜ばしい以外の何でもないから。
 大好きだよ仁さん。いつかお別れする時まで、めいっぱい愛させてくれてありがとうね。

 キングカップのあと、ルヰの腕の中でいっぱい泣いてる仁さんに、僕は触れちゃいけない気がして、舞台袖でそっと見てた。そしたらルヰがチラと振り返って視線を寄越したから、恐る恐る近付いて、仁さんの震える背中をゆっくり撫でた。どれくらいそうしてたかわからないけど、仁さんはそのまま溶けちゃいそうなくらい泣いたあと、怒りと焦りに顔を染めて、癇癪を起こしたみたいに真田さんを呼びつけた。ぐりぐり、真田さんの頭を長くて綺麗な脚が踏みつけるのがあんまり格好いいから見惚れつつ、ちょっぴり真田さん可哀想と思いながらぼんやり見てた。隣のルヰがどんな顔してたのかはわからないけど、仁さんはふとこっちを振り返ってしばらく見たあとで、怒りを抑え込むみたいな、やっと冷静を取り戻したような、溢れる感情を小さな孔から絞り出すような、低く掠れた声で、まず旧校舎を潰せ、と命じた。
 真田さんは十王院の、カズオとおんなじ会社の人で、たしかカズオと同じくらいとか、カズオの方が偉いとかだったなあと思い出した。カズオがいいよと言ったら都市開発もするする進んで仁さんが嫌いな旧校舎もすぐ潰れて、仁さん嬉しいかもしれない。もしかしたら、お願いしたら、カズオもしょうがないねって旧校舎は譲ってくれるかもしれない。あんなに立派な新校舎があるんだもの、前のはいいよって、なるかも、悪いことじゃないことで、仁さんの役に立てるかも……そう思って、僕はカズオになんて提案したらいいか、誰にも内緒でこっそり考えることにした。
 仁さんに言えなかったのは、そこからカズオを騙したりとかするように言われたら困るなって思ったから。ぼくは、カズオとともだちになりたかった。

 スマショでぽちぽち連絡をとった。こんどいつここ来る?って聞いたら、なんでって返ってきたから、お話ししたいことがあるのって送った。仕事での予定は今のところないけど、近いうちに長い出張に行きそだから、その前が良かったらプライベートで時間作ってくれるって言ってくれて、ありがとって返した。カズオは優しいね。
 カズオの馴染みの、というか、十王院のなかま?のカフェで待ち合わせをして、1番奥の席に案内される。おおきな窓がいくつもあって、そこから賑やかなテラス席をぼんやり見ながら歩いていたから、着いたのが窓のない壁ばかりの個室みたいな席で少しびっくりした。案内してくれた店員さんと入れ違うように、先に入り口でお願いしたドリンクを別の店員さんが持ってきて、ごゆっくりって言った後に観葉植物の鉢を少し動かした。本当に個室になっちゃった、すごい。僕はのそのそ肩にかけてた鞄を下ろして、バナナジュースをストローで一口、チュウと吸った。カズオもコーヒーを一口、カップを置くと同時に、で?って話を促された。

「……あの、どしてカズオたちは、新しい校舎に行かないの?」
「……あそこが好きだからかな」
「でも、新校舎あるし、開発で旧校舎無くなるの、だめなの……?」
蓼丸は、PRISM1の要項知らされてる?」

 きっと怖い顔してると思って、ずっとバナナジュースのコースターの柄をじっと見てたけど、そう言ったカズオの声が想像よりもずっと柔らかかったから、つい顔をあげて目を合わせた。

「ぼく、出ないから、あんまり……1000億円の賞金が出る、てのは知ってる……」
「うちね、優勝してそれ獲らないと、借金でダメダメなのよねん」
「ええ!こ、こないだ返せたって」
「ホントね、こないだ返せたのにね」

 にゃは、と苦笑してた顔がスッとかっこよくなって、幾らか低い声で続けた。

「借金も賞金もどっちも手を引いてるのは法月仁、てことは、ただ旧校舎を潰すだけが目的じゃあないんじゃないかな」
「でも……!」

 前のめりになってテーブルがガタと鳴った。カズオの目がまあるくなる。

「仁さん、あそこが本当に嫌みたいなの……!なにか嫌なこと、思い出すみたいな……」

 はしたないことしてるって途中で気付いて、声が段々小さくなる。いかってた肩もおりて、バナナジュースをちうと飲んだ。
 僕、空回りだった。やっぱりこんなことしようと思うんじゃなかった。

「……なにかを嫌いとなにかを好きは、ぶつかった時に話し合って、どっちかが我慢するしかないから、そうしなくちゃと思ったの……」

 でも仁さんは、プリズムショーでちゃんと勝負しよって思ってたんだね……と言ったら、ちゃんと、かはわからないけどねえと返ってきた。

「ごめんね、時間とらせて、傷付けるようなこと言って」
「いいよ、俺っちも聞きたいことあったし」
「え、なあに」
「嫌だったら答えなくてもいいんだけどさあ」

中指で軽く触れるようにメガネをあげる。

マレっちはなんでシュワルツローズに居るの?」

 あんまり真面目な顔だったから、仁さんのこと聞かれたらどうしようって身構えてて、拍子抜けした。

「なんでって、シュワルツローズが好きだからだよ」
「嘘、じゃあなんでうちにあんな、遊びに来るの?」
「嘘じゃないもん!エーデルローズのみんなのことも、好きだから遊びに行くの!」
「じゃあエーデルローズに来たら?」

 今度は僕が目を丸くする番だった。

「あ、深い意味とかはなくて……“いいなあ”って顔で見てるから、だったら来ればいいのにってね、それだけ」
「…………」
「いちお友達、なわけだし?」

 やなことでもあんのかなって少し気になってただけだよん、て、カズオは照れ臭そうに笑って、コーヒーに口をつけた。
 仁さんの側に居たいからなんて、言ったらなにか、壊れそうで言えないと思ってたけど、カズオの優しさがあったかくて、つい言ってしまった。

「僕ね、好きな人がいるの」

 コーヒーに口をつけたままキョトンとして一拍、次にぶわあって顔が真っ赤になったから、面白くてあははって笑っちゃった。

「すごく立派なひとでね、隣に立つのに相応しい人間になろうとしたら、来世に期待、くらいの、容姿も性別も人格も、ほんとに生まれ変わらなきゃどうしようもないくらい、遠くの人でね」
「ま、まってこれ、恋バナが急に始まってんの!?」

 慌てるカズオにまた笑って、続けた。

「今、シュワルツローズで少し近くに居れてるんだけど、ほんとたまたまの偶然で、無造作に選んだボールペンを胸ポケットにさしたら、新しく変える機会も特にないからそのまま、みたいな……そんな幸運だけだから、僕の居場所ってずっとふわふわしてて」

 話してるうちにカズオの顔から赤みが引いていって、僕は自分が切ない顔をしてると気付く。

「どうしようもなく不安だから、ぼくからは離れたくないの……何にも役に立てないし、そこに居る価値もなんにもなくて、それが時々つらいけど、離れるよりはましのつらさで」
蓼丸
「お気に入りの万年筆ができて、すっかり用無しでも、捨てられるまで、ボールペンは胸ポケットにささっていたいの……」

 僕の両目からぽたぽた涙が落ちて、カズオの眉間には皺が寄った。

「……わかった」
「聞いてくれて、ありがと。こんなの言える人、いなかったから……」

 笑って見せたら、カズオも笑い返してくれたから、よかった。
 今日旧校舎の話したの仁さんには内緒ね、と言ったら、どうやって俺っちから漏れると思うのって笑われた。お店を出たところでバイバイして、のんびり寮に帰る。おやつどきは過ぎてたけどまだ明るくって、陽射しも暑いくらい。せっかくの日曜日だったけど、どれくらい時間がかかるかわからなかったから、いつもは一緒に過ごさせてもらう仁さんに「今度の日曜日は友達と外で遊んでくるね」と言ってあった。今からなら夜ごはんくらい一緒に食べれるかも、そうできたらいいなと思って、シュワルツローズのビルに着いたら受付のお姉さんに声をかけてみた。学生証を見せて、仁さんはいまどこにいますかって聞く。少々お待ちくださいねってニッコリして、多分秘書課に電話して2、3言、受話器を置いたらまたニッコリして、お部屋にいらっしゃいますよと教えてくれた。お礼を言って、直通のエレベーターに乗る。総帥室、じゃなくてお部屋って言ったから、眠ったり休んだりするプライベートのお部屋のほうってことだ。せっかくのおやすみなのに一緒にいなかったことをごめんねと思った。
 仁さんのお部屋のフロア(というかこのフロアは全部仁さんのお部屋だよ)に着いて、靴を脱ごうとしたらルヰのがあるのに気が付いて、自分の気の回らなさを反省する。スマショを取り出して、仁さんに「用事終わったから仁さんのお部屋行ってもいい?」と送った。だめと言われたら後ろの、ドアは閉まってるけど箱はまだそこにあるエレベーターで自分の部屋に戻ろうと思った。少しして「いいですよ」って返ってきたから、ほっとして靴を脱ぐ。どの部屋にいるかわからなかったから、おじゃましまあすと声に出した。すぐにルヰがひょっこり顔をだして、こっち、と手招きする。いつものソファ、背もたれの上にチョコレートの髪が乗ってるのが見えて、ぱあと頬が緩んだ。仁さんただいま、って言いながら、後ろからぎゅうと抱きつく。ルヰは仁さんの右隣りに座って、マカロンを食べてた。

「……くさい」
「わ、ごめんね」

 眉間にぐっと皺が寄るのが見えたから慌てて離れた。汗でもかいちゃったかな。

「安いカフェの匂いがする」
「ええ、バナナジュース800円もしたのに」

 ちゃんとお顔が見たいと思って、ソファの前のほうに移動した。くさいって言われたから隣やテーブルを挟んだ向かいのソファには座っちゃだめかなと思って、少し離れたところに立つ。そしたら怪訝そうな顔で見られたから、ちょこっと側に寄った。まだ違うって顔で、あ、見上げるのが嫌なのかもと思って、床にぺたんと座る。仁さんの足下、手を伸ばしたら爪先には触れられるかなくらいのところに、正座を崩して座った。仁さんは何も言わずに目を逸らして、たぶん紅茶を一口飲んだ。

「十王院一男と何を話した」
「あ……」

 ぼくを見ないままなのが怖くて、ごめんなさいって言った。違うの、何にもバラしたりとかはしてないの、動揺してつっかえながら、しどろもどろ、どうにかそう言ったけど仁さんはやっぱり目を向けてくれなくて、項垂れるみたいに床に額をくっつけた。

「カズオには、旧校舎を明け渡して下さいって、お願いしようと思ったけど、でき、出来なかった、です」

 また沈黙。

「真田さんくらい偉いの知ってたから、カズオが協力して、くれたら、もっとスムーズかもしれないと思って、だからあの」
「何故そうしたのか説明しなさい」

 それを、言葉にするのは怖かった。自分の傲慢さを、大好きな仁さんに曝け出すのは本当に、怖かった。
 でも、仁さんにそうしろと言われて、嫌だと言う選択肢は、持ち合わせてなかった。

「……ぼく、僕が……役立たず……なのが、嫌だったから、です……」

 自分の呼吸がやけに大きく聞こえる。顔をあげろと言われないことが救いだった。

「余計なことをするな」
「はい……」
「意味がわかりますか」

 カップがかちゃんと鳴った。仁さんが置いたんだと思う。

「僕は、なにもするべきじゃないって、こと……」
「そうだ」

 お前は、役立たずのままでいいんですよ。
 怒られてるにしては、落ち着いた優しい声色だったけど、僕には重い重たい言葉だった。
 何もできない役立たずでいることが、1番仁さんの邪魔じゃなくて、役に立つってことだ。
 不利益にならないギリギリの、無価値の状態が僕の1番価値ある状態ってことだ。
 認めるのがずっと怖かったこと、認めないといけなくなってしまった。

「ごめんなさい、でした」
「風呂に行きます」
「え、い、いまから?」

 突拍子も無い言葉といつもの調子の声に、やっと顔があげられた。

「その匂いを纏ったままで居させるとでも?」
「あ、わか、わかった」
「ルヰも」
「はい」

 2人が立ち上がるのに遅れて僕も立って、後に続いた。歩くのに合わせて2人の髪が揺れるのをぼんやり見る。一歩踏み出すたびに、言葉にならない感情が頭から身体を流れ落ちて、爪先から零れていくような気がした。勿体無いと思ったけど、零れたあとに振り返ろうとは思わないから、これは不要なものなんだろうなと思う。僕は貧乏性だから、なんでも勿体無いって思っちゃうんだよね、きっと。持ってない方がいいものもあるよね、呪いの防具みたいなやつ。
 ああ、仁さんは、僕のだめだめの呪いを解いてくれたんだってわかった。仁さんにもらったかたちで生きていけることが嬉しかった。
 そうして屋上のいつもの露天風呂に着いたとき、僕は幸せだった。
 それからはずっと、僕には幸せしかないよ。