浮遊

 はじめは触れ合うだけの子供のような易しいキスだった。そっと離した唇の代わりに額をくっつける。マレは困ったように眉を下げて、苦しかったら抵抗してねと断って、再び唇をあわせると、仁の薄く開いた唇に熱い舌を滑り込ませた。舌と舌が触れ合って、仁はびくりと肩を揺らして強く目を瞑ったまま顔を逸らすように身動ぐ。閉じていたマレの目がゆっくり開いて仁の表情を確認し、驚いただけと判断したのか、頬に手を添え逃げ道を優しく遮り、奥に引いた仁の舌を優しく舐める。ゆっくり口内を侵すマレに、仁ははぁっと大きく息をして、油断した舌を甘噛みされた。マレの胸元に置いた手の指先がぴくぴくと跳ねて、思うように動かせない。ばかになったように口が閉じられなくなってだらしなく舌を出したままでいたら、仁の舌を食むように角度を変えてまたキスをされた。そのまま上顎を舌先で擽られ、仁のぎゅっと閉じられた瞼から力が抜けて、感じ入るように睫毛がひくつく。ちゅ、と濡れた音で離れた唇は互いの唾液で潤っていて、その卑猥さに仁の身体から力が抜けた。慌ててマレが肩を抱くように支え、そのまま優しく押し倒す。耳や首まで赤く染まった顔と蕩けた目、緩慢に瞬きすれば一雫涙が頬を滑り落ち、濡れた唇からは熱い息が溢れて胸を上下させていた。きゅんと疼いた胸が素直に性器をぴくりと反応させる。だめだ、今日は挿れないんだと理性を呼び戻す。ぼんやりマレを見ていた目に光が戻って、困惑したように視線を揺らした。だいじょうぶ?と聞いたら子供のようにこくりと頷く。マレは涙の跡を親指で優しく拭いながら、つづき、する?と困ったように微笑む。仁は震える唇をゆっくり開いて掠れた声で、する、と答えた。

「あ、あ……はぅ、ぅうン……ッ」

 上品な紺色のパジャマの胸元を寛げ、ズボンと下着を膝まで下げた状態で、仰向けに寝そべった仁はシーツをぎゅっと掴んで震えていた。右隣にいるマレは左肘をついて上半身を軽く起こし、仁の顔を覗きながら親が子を寝かしつけるように添い寝して、左肘の先は仁の首の下に敷き反対側の耳を弄る。右手は、仁の勃ちあがった性器を優しく握って上下に擦っていた。しゅ、しゅっと動かすたびに仁の脚はぴくぴく跳ねて、外に開こうとしたりもじもじと閉じたり、快感を逃がそうと忙しなく働く。マレの手を追いかけるように腰が揺れて、漏れ出た先走りがくちゅくちゅと卑猥な音を立てた。シーツを握った手はそのままに、弄られる耳のくすぐったさから逃げるように鼻先をマレの胸に押し付けて、自分の口から溢れる高い声には気付いていない様子で、慣れない気持ち良さを全身に受けて淫靡に身悶えるさまをマレは熱の籠もった視線でもって視姦する。

「仁さん、きもちい?」
「んっ……あぅ、う……!ごめ、なさ……あっあッ!ごめんなさいぃ…ッ!」

上下に擦る動きから手のひらで先っぽを撫でるようにすると、仁はぽろぽろと涙を流して腰をびくつかせた。ぱたぱたと脚を動かしているうちに両脚の動きを制限していたズボンは脱げて、片足に下着を引っ掛けただけになっている。閉じかたを忘れたように開脚して、シーツを蹴ったせいで上に逃げ、仁はマレの首に顔を埋めていた。

「なんで謝るの、きもちいのは悪いことじゃないよ」
「やだ、だめ……や、やぁ……あっ」
「仁さんかわいい。とってもきれいだよ、大好き。ね、かわいくイくとこ、僕にみせてくれる?」

 再び、今度は強く絞るように竿を擦り、時折指先でほじるように涙を零す先の口を刺激した。首に腕を回して縋り付かれ、まれまれと耳元で何度も名前を呼ばれ胸の奥がきゅんとする。ぐすぐすと鼻を鳴らしてあどけなく泣くのに卑猥な声は止まなくて、アンバランスな痴態にマレも理性がちりりと焦げるのを感じた。開いた脚が捻った上半身につられて向きを変え、マレと向き合うようにして小刻みに震える。

「ひぁ、でる、まれ、あ、あぁ、まれっ……!」

 追い立てるように擦られて、こんなに激しく自分で擦ったこともなければ他人に触れられたこともない仁の性器が、ついに精液をほとばしらせた。マレは縋る仁にだいじょうぶだよと囁いて、さらに絞るように数度擦り上げ、余韻に浸る仁が耳元でふぁあと蕩けた声を出すのを楽しむ。くたりと腕から力が抜けて顔が離れ、仁の身体がベッドに沈んだ。マレはべとべとの右手をシーツで拭ってから、仁を閉じ込めるように顔の横に両肘をついて唇を舐める。きもちよかった?と囁くと、仁は少し首を伸ばしてマレに触れるだけのキスをした。マレは照れたようにはにかんで、またしようねと頬擦りをする。仁はこくりと頷いて、おふろ、と呟いた。するとマレは上半身を起こして、恥ずかしそうに視線を逸らし

「あ……あのね、さきに僕の……その、ちょっと勃っちゃったから出してもい……?」

 と顔も真っ赤に言う。仁はまだぼんやりとした頭のままマレの下腹部に目を向けて、下着越しだがたしかに“ちょっと”盛り上がったそこを見とめた。

「……手伝う、か?」
「んーん、平気。自分でするから、仁さんはちょっと休んでてくれる?」
「……わかった」

 ヘッドボードからスキンを取り出し手早くつけるのを、やはり仁はぼうっと見ていた。視線に気付いたマレが恥ずかしそうにわたわたして、仁に背を向け熱い息をこぼし始める。マレのそういう声だって聴きたいと、細身の背中が振り向いてまた優しく唇をあわせてくれるのを想像しながら、仁は静かに目を閉じた。

 仁は、自慰の経験がほとんどなかった。二次性徴とともに精通は済ませていたが、それも目覚めたらいつのまにか下着を濡らしていたという、所謂夢精であり、人並みに性教育は受けていたものの困惑した仁は母親に報告をした。冷たい目で見下ろされ、マスターベーションを覚えたのかと問われ、いいえ、夢を見たのかと問われ、いいえ、次にこういうことがあっても私への報告は結構です、はい、仁はきっとこれは悪いことなんだと、そうでなければ母がこんなに不機嫌になるわけないと思った。私、こういうことは嫌いだわと独り言のように呟いて背を向けられて、仁は返事をするべきか迷い、消えるような声でごめんなさいと言った。
 それから何度も、思春期には特に頻繁に、成人してからも数ヶ月に一度、夢精を経験していたが、そのたびに惨めな気持ちで下着を自分で手洗いしてから棄てた。十代の頃、風呂場でひとり身体を洗っているとぴくぴく反応し出したそれを、半泣きで擦って鎮めた時も母の軽蔑するような目にずっと見られている気分だった。法月愛の思惑としてはそんなことも自分で対処できないのかという意味合いが強かったが、仁に特別息子として情をかけていたわけでもなかったので、他人の性欲に素直に不快感を示したのも事実だった。仁にしてみればそれは、世界の半分ともいえる母に軽蔑されたので、人間の身体の構造としてなにも不自然なことではないと知識としては理解できていても、やはり心地の良いものではなかったのだ。もう半分である父に相談できれば良かったものを、広い家の中で顔を合わせない日の方が多いほど放っておかれていたので、そんなことは考えもつかなかったのだった。
 マレと交際を始めてしばらく、ある日言いにくそうにもじもじと、マレは仁と性行為がしたいと言った。脳裏にやはり母の冷たい視線がよぎったが、振り払うように了承した。マレは初めてだと言ったので、仁も同じだと伝える。どちらがどちらに挿入するかという話の中で、仁は、自分は自慰すらまともに経験がないから、勃つかどうかもわからないと言った。マレは何故か嬉しそうに頬を緩ませて、じゃあ、まずはいれないで、触りあいっこしようと笑った。
 触りあいっこ、と言ったのに、マレはただ仁の身体に快感を教えることだけをした。怖がらせたくない、もうしたくないと言われないように、恥ずかしいけど気持ちよくて幸せなことなんだと覚えてもらえるようにという配慮だった。仁が自分の手で感じてはしたなく射精するのをじっくり観れるのは楽しかったし、それを脳裏に自分でするのも気持ちがよかったので、しばらくこのままでいいと、マレは考えていた。しかし仁は、マレの一方的な奉仕にむず痒さを覚えていた。初めは一度達するだけで身体に力が入らなくなってしまっていたが、何度か経験すれば慣れてきて、マレにも触れる余裕があるのに、しようかと申し出てもいつもやんわりと拒絶されて、マレが声を殺して震わせる背中を眺めているのだ。
 仁にとって自分に利益をもたらすわけでもない、しかも子を成せるわけでもない相手と交際している時点で、両親に示された道とはたがったことをしている自覚はあった。故に、マレとの関係の間にあるあれそれの正解を知らず、どうするべきかわからない仁は、マレのしたいようにさせるのが最善と判断して静かに身を委ねている。そうした現状に特別不満を持っている、とはっきり自覚があるわけではなかったが、輪郭のない不快感を確かに持っていた。そうして燻っていた胸のうちを、つい口にしてしまうのは仕様のないことだったと言える。
 それは、いつものように後処理を済ませたマレが浴槽に湯を張る準備をして、寝室に戻って来た時だった。仁は裸のまま枕をきゅうと抱いて横になっていて、マレは後ろから静かにベッドに体重を乗せ、おふろもうちょっと待ってね、と側に寝転んだ。

「……マレ
「なぁに?」

 仁の後頭部の髪を弄りながらマレが答える。仁は続く言葉を口にするのにらしくもなく緊張して、枕を抱く腕に知らず力が入った。身体が強張る。

「何故……何故、私を抱かないんですか」

 マレの髪を梳く手が止まって、仁は言わなければよかったと唇を噛んだ。

つづけばいいな