前途多難

前途多難

 仁さんの身体は指先まで色が白くて、しなやかで、綺麗だ。形の良い爪が綺麗に切り揃えられていて、艶やかに光を反射させている。初めて見たときは、テレビの中でキラキラ笑顔を咲かせながら指先に煌めきを乗せて、遠く離れた僕の心を液晶越しにときめかせてくれた。16歳でキングに輝いた仁さんは、細い身体をピンと伸ばして凛々しく、それなのに少女のような笑顔で、まるでクイーンでもあるみたいだった。その四年後のキングカップは、両親に無理を行って東京まで連れて行って貰った。おとこのひとが長い髪なんて、なかなか魅せるのは難しいのに、仁さんは指先とおなじように髪の先まで美しくて、それが初めて生で見た仁さんだったから、僕はもうクラクラになってホテルに着くなり倒れこむように眠ってしまった。当たり前のように夢の中まで仁さんはついてきて、そこでも「みなさんのおかげです」ってニコニコしてる。僕は、違うよ、と思った。仁さんがかわいくて、王冠を2回もその小さな頭に乗せて、指先や髪の一本まで美しいのは、仁さんがたくさんたくさん努力をしたからでしょ、おめでとう。ショー以外のどんなメディアでもずーっとニコニコしてる仁さん。美しく在ることに手を抜かない仁さん。その煌めきを僕の、僕らのおかげだなんてどうして思えよう。
 僕は仁さんのことが大好きで、学校でも習い事でもプリズムショーばっかりしていた。滑っていると仁さんの近くに居るような気がして、そればっかり考えて、上を目指したことなんて無かったから、きっとはたから見たら全然だめだめなショーをしてたと思う。2回キングに輝いた仁さんはそのまま引退して、エーデルローズのコーチになったと思ったら、すぐ主宰にまでなってしまった。そして僕ははじめて、仁さんに褒めてもらえるショーがしたいって思った。
 勉強はもともと苦手じゃなかったから、とにかくプリズムジャンプの練習をする。仁さんが好きならスターライトキスを跳んだらいいとたくさん言われたけど、できないと思った。仁さんの前で仁さんのジャンプを跳ぶなんて、その、上手に言えないけど、とてもできることじゃなかった。
 試験当日、僕は仁さんが見ている前でショーをするってことがどんなに緊張するものなのか全然想像できなくて、直前も控え室でチョコの挟まったおいしいパンを食べてた。当たり前に喉が乾いて、カバンの中に手を突っ込んだらペットボトルが空っぽだった。控え室から顔を出してみたら少し離れたところに自販機があったので、見に行く。そしたら、そしたらなんとね、仁さんがいた。
仁さんがいた。

「受験生ですか」
「は、はい、そうです。こんにちは仁さん」

 エーデルローズ生のレッスン着は決まっていて、僕が着ていたのはそれではなかったから、きっと一目で受験生だとわかったんだろうな。背もすごく小さくて、中学生どころか6年生にも見えなかったかもしれないし。

「…こんな所で何をしているんです」
「のど、が、乾いてしまって」

 初めてこんなに近くでしかも仁さんと会話をしている。キラキラした笑顔じゃなくてキリリとした主宰の顔だった。綺麗だ。あれ、少し険しい顔になった。僕はいま仁さんのことをなんて呼んだだろう。法月主宰、面接の時のためにたくさん練習したように呼べただろうか。

「ショーの直前ですから、この水がいいと思いますよ」

 というか仁さんこそなんでこんなところに、試験をしてるんじゃあ、あ、よく見れば仁さんも左手にペットボトルを持っていた。そうか、ずーっと見てるのも疲れるのかもしれない、今は受験生も仁さんも休憩の時間なんだ、きっと。

「ありがとうございます。あ、あの、法月主宰」

 あのしなやかな美しい指が自販機の右上のほうを指した。釣られるように目線を動かして、商品名を確認する。仁さんが手に持ってるのと同じだった。

「僕、あなたが大好きでここまで、来ました。あの、あの、」
「…後にしなさい」
「あ、ご、ごめん、なさい」

 仁さん、表情がゆるやかに変化していく様子がまるで芸術品みたいだ。でもどの表情でも穏やかな姿勢を崩さないままで、それなのに気品があって、口元は柔らかく弧を描いているのになんて強かな人だろうって、ああ、美しいな。

「面接でじっくり聞いてあげますと言ってるんです。そうしょげた顔をしないで」
「はい、はい…!」
「あなたもスタァになりたいのなら、笑顔を絶やさないことですよ」

 優しく目を細めて緩やかに咲いた花の微笑みに、僕はもう、僕はもうだめになってしまいそうだった。

 ふわふわ夢心地で控え室に帰って来て、そして初めてあの廊下の甘い香りが仁さんからしてたんだなって気付いた。僕はもう一生分の緊張を使い果たしたような気分だったし、実際そうなんだと思う。氷の上に立った時、あの何も考えずに仁さんをただ近くで感じていたくて滑ってた時の気持ちが全身を血のように駆けて、もう、楽しいしかなかった。興奮したまま、スターライトキスを跳んでしまうくらい、僕は仁さんと僕だけの世界に没頭してしまった。
 そう、僕は試験当日、仁さんの前でスターライトキスを跳んでしまったのだ。

「…君が私に憧れているというのは本当だったんですね。見ているこちらが恥ずかしくなるようなショーでしたよ」
「えへ、すみません。本当に、本当に仁さんが大好きで、仁さんの所でプリズムショーをしたくて広島から東京まで出て来ました!」

 もうすっかり緊張の意味を失くしてしまった僕は、面接も楽しくてしょうがなかった。だってずーっと憧れてた仁さんと2人っきりで、時間も忘れて(ほんとは忘れちゃいけないんだけど)お話ができるなんて!

「…その、仁さんというのは些か敬意に欠ける呼び方です」
「あ、ごめんなさい。法月主宰、」
「しかしそれだけ、私が主宰に就く以前の、プリズムスタァの法月仁が君の心には根付いているんでしょうね」

 幼かったでしょうに。仁さんは眼鏡をくい、とあげながら僕の志願書から顔をあげた。眼鏡似合う。そもエーデルローズのこの、なんだろう、主宰のお洋服もとっても似合っている。綺麗だなあ。仁さん好き、大好き。僕の頭の中はそんなのでいっぱいだった。最高のショーができた自信があったから、不安なんて氷上で弾けてしまったんだろうなと思う。

蓼丸マレ、君のその礼儀知らずな緩んだ口も私が矯正してあげます。春からはここの寮に入りなさい」

 ふふんと主宰の顔で笑った仁さんが本当に格好良くて、それで、もらった言葉も嬉しくてたまらなくて、僕は仁さんにぎゅうっと、ていうかドンっと勢いよく抱きついてしまった。

「はうぁあ!」
「仁さん大好き!!」
「このっ……!!前途多難どころじゃない…!」

 これからいっぱいいっぱい聞くことになる砕けた喋りかたに気付かないまま、僕は仁さんの甘い香りを胸いっぱいに深呼吸した。それから、しばらく所在無く震えてた手が僕の後頭部に回ったのに気付いて、あの美しい指先が僕のやんちゃな髪を撫でるのが心地よくて、ふにゃりとだらしなく笑った。