手探り2

手探り

 ふわりと意識が浮上して怠惰な瞼をそっと開ける。真っ暗で何も見えなかったが頬に触れるシーツの心地よさから自分のベッドだと理解、とすれば目の前にいるはずの恋人を探してシーツに指を這わせた。動いた私を離すまいと腹に回された腕に力が篭り、ああ、後ろから抱き込まれていたのかと漸く気付く。振り返るように首を曲げればばかみたいに跳ねた黒髪が鼻を擽った。それをわしわしと無造作に撫でて覚醒を促す。甘えたように唸って首筋に顔を擦りつけながら、更に腕に力を入れて起きたくないと駄々を捏ねるので、絡められた脚を軽く小突きながら、起きなさいマレ、と小さく呟いた。

「……おはよ、仁さん」

 緩慢な動きで腕の拘束を緩め、上体を起こしたマレは私の顔を上から覗き込みながら微笑む。今日も正しく従順な反応に気分を良くしたので、情事の最中のように首に片腕を回してやった。マレは嬉しそうに顔を緩ませながら私の背中に両腕を差し込み、静かに抱き起こしてそのまま私に頬擦りをする。それを離すことなく、マレは私の耳に直接、今日は何着るの、と優しい息を吹き込んだ。

「ぼくって、仁さんの、なに、かな?」

 マレの、控えめに袖を引く手が震えていることに仁は気付いていた。が、マレが望む言葉が何かは理解できず、探すように口を開いては閉じて、視線を下に落としたままのマレを隣で見つめながら、深く座り直した。

「……何が言いたい」

 自分で思うよりも幾分も優しい声が出て、仁は少し驚く。しかしマレは益々身を小さくしてキュウと口を噤んだ。
 法月皇が死んだ時、葬儀で法月愛を見た。仁がどこかに行ってしまった後だったから、法月愛が喪主を務めたようだった。氷室聖が仁の腹違いの弟であることはもちろん公になっておらず、「可愛がられていた息子」であるのにその席に座ることは許されていないようだった。マレは、多くのエーデルローズ生と共にお別れの挨拶だけをしてまた寮に帰ったので、愛やもしかしたら聖がしたかもしれない挨拶はひとつも聞かなかった。ただぼんやりと、少し睨むように遺影を見た。マレがどんなに焦がれようと愛おしい仁の家族にはなれないのに、仁をどれだけ愛することも許された立場の誰もが仁を愛していないのは、悔しかった。その時に生まれた所有欲の火種、自分の好意を受け入れてほしいというわがままが、仁と再会したことでマレの胸には消え難い炎として燻っていた。だが、それは欲せば今度こそ離れてしまうかもしれないという不安の種でもあって、マレはどの言葉で気持ちを伝えるのが正解なのかわからずにいた。

マレ、難しく考えずとも、どんなに稚拙な言葉でも聞いてあげますから、素直に言いなさい」

 仁もまた、マレが自分の前で言い淀む不自然さに少しの不安を感じながら、しかしここに来たのだから何を躊躇うのかと思いなおす。仁にとって悪いこととはマレが自分の元から去るという決断だったので、それはないという自信から先を促すように諭した。ほかのものならどんなわがままも聞いてやろうと思ったのだ。
 マレは意を決して俯いていた顔を上げ、仁の海色の目を真っすぐに見つめて手を握る。

「ぼく、仁さんが好き!」
「……嫌というほど知っているが」

 そんなことを言うのにこんなに時間を取らせたのかと仁は呆れ顔を隠さない。

「ち、違うの!あのね、前みたいのとは違くってね、あのね……!!」
「落ち着いて、簡潔に」
「お、おっ……お付き合い、したい……!!」

 ぎゅうと握られた手が熱かった。

「……は?」
「ぼくをっ……!僕を仁さんの、恋人にしてほしい……!!」

 マレの、自分の元から去りたい以外ならば、どんなわがままも聞いてやろうと、思ったのだ。

 仁には恋人というのはいたことが無かった。そういった交わりは穢らわしいという価値観で育ち、興味を持つことは殆どなく、相応しいと思えた唯一の女性には拒絶された。知識の上で生命を授かる仕組みはもちろん知っていたし、故にふつう、本能的に男性は女性を愛するものだが、稀に同性同士でそういった関係になることもあると、あくまで知識の上では知っていた。よもや自分がその当事者になるとは思いもしていない。

「……具体的に、どう、変わる……俺と、マレの……関係がその、恋人同士に、なった場合は……」

 恋人というのが具体的にどういう関係なのか、ただ金や権力のために婚姻を交わし、父親を繋ぎ止める人質に子供を、自分を産み落とした母親を見てきた仁にはなにもわからなかった。

「恋人は……その、一緒にいて、触れ合ったり、たくさん喋ったり、えっと……なにより大事に、お互いを思い合う……と思う……」
マレが、私のなにより大事なものになる……」

 大事って、なんだ。

「別に僕を大事にしてくれなくても、僕が仁さんを大事にしてるだけで満足っていうか、えっと、でもそれじゃ恋人じゃないのかな、えっと……」
「嫌だと、言ったら、どうなる」
「今まで通り……?」
「違う、お前は、どう思う」

 想定外の事態に脳がうまく働かない。仁はただ、自分がどういう思いでマレに何を言い何をしたかを思い返していた。面接で、自分を真っすぐに尊敬し純粋な好意を向けているのが心地よくて、側に置きたいと思った。普段なら嫌悪感を覚えるいろんなことが、マレの好意の表現だと思えば大目に見れた。置いて行くとき、連れて行けば未来を潰すと思った。電話越しに泣いているのに気付いたとき、そんなに嫌なら自分の側にいなくてもいいと、思った。涙を流すほど悲しいことは、しなくていいと、いつの間に俺は、無意識のうちにこんなにも、この子を甘やかしていたのか。

「仁さんに、拒絶、されたら、僕は……僕は、悲しい」

 悲しいことは、しなくていい。

「……受け入れよう」
「え……?」
「恋人にしてやると、言ったんだ」

 それから2年が経って、春、高校を卒業したマレは仁と一緒に暮らすようになった。エーデルローズにいた頃も頻繁に仁の部屋に泊まりにきてはぎゅうとひっついて同じベッドで眠ったものだが、あの頃は小学生みたいに小さい身体で、必死に仁に抱きついて甘えていたのに対し、仁の背を少し越えた今のマレはお気に入りのぬいぐるみを抱くように仁を長い手で抱きしめていて、似ても似つかない。
 2年の間に正しく恋人同士になれただろうかと、仁は思う。初めは互いに手探りで、喧嘩……らしい喧嘩はしなかったが、違う人間なのだから当たり前に持っている違う常識を共有し、色んなことを話し合って相談した。ふつう、恋人同士がする色んなことも、少しずつ試して、きっと互いにしらないところは無いのだろうと、思う。だからこそ一緒に暮らすことを決め、司法の上では何も結べないかわりに、ふたりの間だけで誓いを立てて、一生を添い遂げる約束をしたのだ。

「仁さん、車呼んでい?」

 鏡で自分の姿を確認しながらタイをしめる。背後にあるドアからマレが頭を出したのが鏡越しに見えて、振り返った。

「ああ……いや、今日は歩いて行こう」
「え!今日なんか、春にしては暑いってよ?」
「すぐそこだろう。帰りに何か食べて、どこか寄り道してもいい」
「め、めずらしいどころの話じゃないね……?どしたの」
「……別に、ただ、折角指輪を買うんだから、見せびらかしても良いと思っただけだ」

 普段から散々手を繋いで歩きたいだの、腕を組みたいだのとお前が言うから、そういうのがしたいのかと、別に要らないならいいがと、視線を再び鏡に戻せばマレが部屋に入って来て、鏡越しに抗議する。

「ええ!したい!!仁さんあんまり乗り気じゃなかったから、さっさか済ませたいかと……!」
「そうしてくれるなら助かるが」
「やだやだ、見せびらかしたい!デートしたいよ!どっか行きたいとこある?」
「別にない」
「僕、僕ねぶらぶらしたい!青山ぶらぶらしよ!!」
「わかった」

 買い食いとかいっぱいしよ〜!とご機嫌な様子でにこにこしているので、財布を用意しなさいと言う。普段から外出時にはマレに仁の財布を持たせ、支払いなどの雑務を任せているが、今回のメインである指輪は既に支払いを済ませており、手ぶらで受け取りにだけ行く気満々だったろうと考えた。その通りのようだ。はーいと返事をしてぱたぱたと部屋を出る。

「行けますか」
「うん!」

 当たり前のようにマレが仁の手を取って指を絡めて、楽しみだねと笑うので、仁も軽く握り返して、そうだなと答えた。