手探り1

手探り

 蓼丸マレは至って健全な男子高校生だった。ゲームをするのが好きで、学問の成績は校内では上位3割程度、控えねばと思いつつ放課後に同級生とジャンクフードを食べたり、ドリンクバーでオリジナルミックスジュースを作って遊んだりするような16歳だった。恋愛には疎く恋人と呼べる相手はいたことがない。同級生のそんな話題も振られれば小さく顔を赤らめて俯いてしまうといった初心な反応を見せていた。思春期、何に没頭しているかと言えばマレにはプリズムショーがあった。幼少期から憧れているプリズムスタァがいて、現役を引退したのちにエーデルローズというスタァ育成機関の主宰に収まった法月仁という男だが、彼を追いかけて広島から1人上京し中学1年生の春からずっとエーデルローズの寮に暮らしている。帰宅してすぐにレッスン着に着替え、夕食の時間までたっぷり氷上で遊び、シャワーで汗を落として食堂に座る。駄弁る同胞を横目に空いているうちにと大浴場で入浴を済ませ、それから課題をしたり、ゲームをしたり、新作のパックを試してみたりという趣味の時間に当てていた。去年迄は髪がしっとりと湿ったままに主宰の部屋を訪れ、仁に髪を乾かして貰いながら他愛のない会話を楽しむ時間だったが、仁が姿を消してしまってからマレはこの時間を持て余していた。
 エーデルローズの現主宰は仁の異母兄弟である氷室聖が務めていた。仁が姿を消してしまうまで個人的な会話をしたことは無かったが、仁が残した連絡や行き先の手掛かりはないかと何度も足を運んだ威厳ある主宰室へやってきた時、先に中に居た聖と対面したのだった。挨拶をして尋ねれば聖も同じ考えだったようで、一緒にぐるりと部屋を見回す。ガラス棚に輝く数えきれないほどのトロフィーの中ひときわ目立つ大きなそれは、仁が過去2度手にしたプリズムキングの証だった。
マレには分かっていた。何度も訪れて、仁の膝の上から見慣れたこの席の眺めも、どの引き出しに何が入っているのかも全部知っていた。全部必要なものだった。仁が仕事や自分の人生に必要のないものを持たないことをよく知っていた。
 机の一番上の引き出しには眼鏡と、急な来客の際にひと吹きできるようにと愛用している香水、それから判子なんかが入っている。マレはそこを開けてみた。

(僕はこれらとおんなじなの、かな)

 仁さんが必要と思わなかったから何も持って行かなかったんだろうか。眼鏡も、判子も、香水も……僕も。
 鼻の奥がじんと熱くなって、視界がうるうるとぼやける。いつも困っているみたいだと、カクテルを片手に機嫌の良さそうな仁に言われた眉にぐっと力を込めるが、ひと粒零れればもう耐えることは出来なかった。
 ぽたぽたと涙を落とすマレに聖は掛ける言葉が見つからず、ただその横顔を見ていた。そして仁に、速水ヒロと蓮城寺べる以外に手をかけていた生徒が居たのかと少し驚く。結局聖は、どうにも決壊してしまった涙の扱いに困っているマレに柔らかいハンカチを渡して、あちこちにぴょんぴょん跳ねた癖毛を大きな手で撫でた。
 仁が「悪いこと」をしているのを、全てではないがマレはぼんやりと知っていた。そのせいで、何かと自分を気にかけてくれたヒロや、その友人の神浜コウジや、べるや、彩瀬なるたちが傷付いているのを知っていた。仁はヒロやべるにはあれこれ指示を出していたが、マレには何も言わなかった。マレの記憶する限り、主宰室からたまに締め出しを食らうのは決まってそのどちらかが呼び出されている時であり、流石に察したマレは、僕にはなにか言わないの、と一度だけ聞いたことがある。仁は、君の奔放な性格はよく分かっていますからね、骨を折ってまで駒にしようとは思いませんよ、と答えた。マレが仁の悪事を知ってなお側でしたかったことといえば、その脆く危うい仁の心が消えてしまわぬよう、手を添える程度の風除けにしかならないがそれでも、いつかのような煌めきを自分のショーで感じてくれたらとただそれだけだったので、素直に良かった、と思った。
 持て余している自由時間に仁のことを思い出すことが少なくないマレは、同室の同級生に情けない顔を見られる前にと早々に布団に潜ることが常だった。喉に詰まった息をふるりと震えながら小さく吐き出して、自分を抱くように丸くなる。ぎゅっときつく閉じた瞼には、頬を腫らして世界の何もかもを怯えたように見る仁の強張った顔と、切れていないか見ようと伸ばした手のぴしゃりと払われる渇いた記憶が色褪せる事なく映って、あのときどうして無理矢理にでもそばに、抱きしめて、震えてた細い肩を、どうしてと、途方も無い後悔が指先を冷やした。

 マレが高校2年生になる年の春のことだった。まずは、生きていてくれて本当に良かったと、それを思えば再会がシュワルツローズへの移籍案内の紙ぺら1枚だろうと、傍に知らない綺麗な男の子を携えていようと、なんにも気にならないくらいマレは嬉しかった。この1年でマレと仁はどうしようもなく他人で、子どもと大人で、そこにマレの気持ちが強く働きかけるなにかや仁の行動や思想に踏み込む力なんてないと、痛いほど胸に刻まれていたので……否、本当はほんの少しだけ、小さく誰にも聞かれることは無かったが、ため息のように「仁さんのばか」と零したのだった。
 仁にこうしなさいと命じられた時それに背く思想をマレは持ち合わせて居なかったが、それでも仁の居ない間に自分をデビューさせてくれた聖には恩があったし、友人たちにも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。マレがどれだけ仁に陶酔しているかよく知っているヒロが唯一部屋を訪れ、行くのか、と確認した。うん、エーデルローズの不利益になるようなことは、僕はしないよ。マレは気まずそうに俯いてらしくもなくぼそぼそと言ったが、ヒロの耳にはしっかりと届いて居たようで、

「わかってるよ」

 多くの女性を魅了する顔で、ふわりと微笑んだ。
 どこかスッキリとした気持ちで、シュワルツローズへ移籍するための書類を紙面に記載されたように郵送で提出するよう用意していたマレの、あまり鳴らない携帯電話が声を出した。

「もしも」
「遅い」
「へ?」
「書類、出来ているんでしょう。直に提出に来なさい。今日15:00、受付には顔の分かるように手配していますから、いいですね」
「じ、仁さん?」
「それともまさかエーデルローズに残る気ですか?君には言わずとも分かると判断していましたが、こちらには君の判断を変えるに足るカードが揃って」
「いっいくよ、もちろん行くけどあの、仁さん」
「何だ」
「あ、あのね…」

 仁を前にして言葉が出てこないなんて経験はマレにとって初めてのことで、止まる思考に鞭を打ちながらようやく自分の声が震えていることに気付く。顔が熱くなるのを感じ聞こえないようにふうと息を吐こうとしたが、逆効果だったようで、どうにも湿った息と共に涙が溢れてしまった。仁にばれたくないと思いつつ息を吸えば鼻がぐずりと鳴って、もうだめだ、というようにへにゃと笑った。

「待て、泣いているのか、マレ、そんなに嫌なら」
「ん、んーん……う、れしいの……じんさん、ぼくが、…ひつよう…?」

 たどたどしく言葉を紡ぐのに必死で、電話の向こうで仁がハッと息を呑むのにマレは気付かなかった。

マレ、いつでもいいから来なさい。早くなっても遅くなっても構わないから」
「…ん、すぐいく、ね」

 目元はすぐに冷やせと言って電話を切った仁に、相変わらずだなあと微笑んで素直に濡らしたタオルを当てる。必要なものを書類ケースに大切にしまって、それを普段学校でもつかっているリュックに入れて寮を出た。
 シュワルツローズのビルはとにかく大きく美しく、エントランスも洗練されたレイアウトが気品を湛えていた。絵画のようなその世界に着の身着のままやってきたマレは多少の居心地の悪さを感じながら、内装に劣らず気品のある受付嬢に声をかける。

「あの、」
蓼丸マレ様ですね」
「えっあっ、はい」
「法月総帥がお待ちです。ご案内いたしますね」

 顔の分かるように手配しているとか言ってたっけかと思いながら、手渡された入館証を受付嬢に倣って使い奥へと進む。エレベーターの中に促され、外から受付嬢がボタンを押した。

「こちらの階には法月総帥の執務室のみございますので、迷われることはないかと存じます。それでは失礼いたします」

 お手本のような微笑みで一礼し、閉のボタンを押す。ぼんやりとしていたマレが慌ててお辞儀を返すと音を立てずに扉は閉まった。やはり音もなくするすると登るエレベーターの中でマレは書類ケースをリュックから出してほうと息をつく。到着を知らせる音が鳴って扉が開くと、何度か仁と共に写真を撮られていた真っ白な少年が出迎えた。

「いらっしゃい、僕はルヰ。如月ルヰ。よろしくね、マレ
「よ、ろしく…ルヰ、くん」
「ルヰでいいよ」

 綺麗なひとだな、それに少し昔の仁さんににてる、と初めて対面する少年の距離感に面食らいながら、ルヰが重たそうな扉を華奢な手で2回そっと鳴らし、来たよ、と言う背中を見ていた。

「仁さんはね、ずっといつ来ても良いようにって準備していたよ」
「え…?」

 言葉の意味を理解しきれないまま開いてしまった扉と、逆光に怪しく映るルヰの微笑みに早速脳が停止しかかるが、上がらない足をどうにか動かし転ばないで部屋に入る。
 ああ、また綺麗になったと、マレは胸がいっぱいになった。
 マレは仁のことがとにかく何より可愛く綺麗だと思っていて、大好きだった。美しい海の瞳とちいさい鼻、年の割に幼い顔立ちで、薄い唇が意外なほど素直に表情をつくるのも、太めの眉が形良くつり上がっているのも大好きだった。小さな頭を包むチョコレイト色の髪がふわふわと毛先を遊ばせているのも、指先まで手入れの行き届いた肌も、厳しい練習と努力の勲章であるすこし歪んだ足も、日焼けを知らない真っ白な肌も、落ち着いた声も、面倒見のいいところも、仁の尊厳と格を支える強いプライドも、寂しがりで少し人より脆い心も、法月仁を構成している全てがマレには愛おしい宝物のようだった。
 もう、離したくない。失くしてしまったかと、不安になることさえ嫌だと、マレの心にずっとあった火種がようやく、ぱちりと小さく爆ぜた。
 仁さんきれい、と脳から漏れたあんまりな第一声に仁は怪訝そうな顔をして、沈黙を破るようにルヰの笑う声がした。随分背が伸びた、と立ち上がる仁に、育ち盛りだもんと返すマレ、また沈黙、立ったまま微妙な顔で見つめ合う2人を面白そうに観察しながらルヰが、とりあえず2人ともこっちに座ったらと、いかにも高級そうなソファに視線を促した。

「僕ね、聖さんのエーデルローズにとってもお世話になったからね、不利益になるようなことはしないからね」

 寛ぐようにソファに体重を預けて紅茶を飲む仁と、その左肩に甘えるように頭を乗せ仁の暇な左手をむにむにと弄ぶマレ、向かいに座ってその様子をにこにこと眺めるルヰの、すっかり緩んだ空気の中で軽やかにマレは宣言する。

「君を駒にする気は無いと前にも言ったはずだが」
「忘れてるかと思って」
「私のことを忘れていたのは君のほうでしょう」
「ばか。仁さんのばか」
「こら、抓るな」
「ふふ」
「ルヰも笑うんじゃない」
マレ、仁さんはね、君がとっても仁さんを好きすぎて、慌てて一番にここに来るんじゃないかって、思ってたんだよ」
「ル、ルヰ」
「受付のお姉さんたちにも写真を渡してね、約束がなくても通すようにって…ふふ…」

 姿勢をそのままに真っ赤にした顔を必死に逸らす2人を正面から見つめながら、ルヰは楽しそうに微笑んだ。仁さんの珍しい顔が沢山見れたなと満足気に紅茶を飲み干して静かに立ち上がる。

「ごちそうさまでした。僕、お散歩してくるね」
「き、気を付けて……」

マレの挨拶ににこりと笑顔で返して、ルヰは軽やかに退室していった。それを視線で追い、扉が重く閉まるのを確認してマレはそっと頭上の仁を伺う。耳まで真っ赤だった。かわいい。

「…ね、仁さん。僕ね、もう仁さんと離れたくないよ」
「……」

 すり、と首筋に鼻を押し付けて、香水が変わっていないのを知った。
 弄んでいた手に指を絡めて、ぎゅっと握る。

「元気にしてるかどうかずーっと心配だったの。だから、移籍とか色々……ほっとしたけど、僕はヒロさんや……聖さんと違って仁さんの家族じゃないから、どうしたらいいのか、わからなくなって……すぐ会いに来なくてごめんね」

 仁はそれを、黙って微動だにせずに、ぽたぽたとマレの頬を落ちる涙を見ながら聞いていた。この子はこんなに泣き虫だっただろうか、らしくないことを懸命に考えてと、身長以外も成長していたことを実感する。それがなんだか惜しいことのように思えて、仁の目を真っすぐ見させるように、繋がれていない右手を頬に添えて優しく顔を上げさせた。

「…大人になるな、マレ
「仁さん、少年がすきだもんね」

 濡れた長い睫毛が揺れてふにゃんと笑う。水滴がキラキラと光ってマレの笑顔を彩っていたが、どこか痛ましいそれを仁は親指で拭いつつ頬をむにと抓った。

「そういう意味じゃない」
「…?」
「……お前は美しく育っている、が…」

 ルヰが部屋を出てどれくらい経っただろう。仁とマレの関係は言葉には言い表し難く、友人でもなければ恋人でもない、スタァとファンと言うには近い距離なのは、総帥とその生徒でも同じだった。きまりの悪そうに青い目を泳がせる仁を、マレはきょとんとした顔でみつめる。やっぱり本当に可愛い顔してる、少し伏せた睫毛が色っぽくて綺麗だなあと思いながら言葉を待った。自分がこんなにも言葉を選んでいるにも関わらずぼんやりとしているマレの様子に気付いた仁は、少しのイラつきに任せてマレの鼻をぎゅっとひと摘みした。

「ふん」
「むが!」

 そのままの勢いで肩に乗る頭をぐいと押して退かせ立ち上がろうとするが、マレが袖を引いて引き留める。

「ねえ仁さん」
「まだ何か用ですか」

 用なんて、仁が言いつけたように書類を渡すのが”本題”で、しかしそれは確認するまでもなく仁の執務机に放られていて、何か用かと言われればそういやなんで来たんだっけとマレが一瞬考えてしまうのも無理は無かった。

「……用事ね、あるよ。仁さんはこんな話嫌かもしれないけど、」
「簡潔に述べなさいといつも言ってるでしょう」

 マレはどうしても幼子のように整理のままならない言葉の羅列で焦ったく喋ってしまう癖が抜けないが、感情が昂ぶっている時などどうしてもそうなってしまうマレの焦れた言葉には、無駄を嫌う仁には珍しく辛抱強く耳を傾けてくれていた。ゆえに仁がこうして促す時は、意識すればできるだろうと暗に矯正してやっている時だった。無論マレには知る由もなく、覚悟を決めたようにごくりと唾を飲み込んで声を出す。

「ぼくって、仁さんの、なに、かな?」

つづく